強みを探るには先ず弱み

  • 2017.03.17 Friday
  • 00:00

かけた時間と集中力が才能を作り出す。

時間と集中力を割けるのは、それが好きか、それに寛容であるか。

或いはのっぴきならない事情で向き合わなければならない事態に陥っているか。

 

それが好きと言うのは金星。寛容なのは木星。木星はその方向から勝手にやって来る様に感じる。ソフトアスペクトもこれ等に類する。向き合わねばならなくなるのが土星。或いはハードアスペクト。列挙すれば強みと弱みは表裏一体なのがよく分かる。

 

意識と時間と努力の集中がある所に強みが生まれ、個性となっていく。

この意味ではMcも強み。気が付くと、人生はMcに向かっている。近くに天体があれば、更に拍車がかかる。

 

占星術で鑑定するにあたって、弱み強みは勘所の1つ。きちんと押えられるかで、結論が大きく左右する。中でも土星の解釈は重要だ。弱み・短所・欠点・制限として表現されるが、一生かけて取り組む課題でもある。一概に制約とばかりは解釈出来ない。

 

その昔、神と目されていた星、土星が入っている場所=サイン&ハウスは、個々の人間を作る際、神が最初に手を入れた箇所とも考えられる。

RPGゲームの様に人間の能力値とその総和が決っているとしたら、キャラクターを作る際、何処かを盛るには何処かから削って来なければならない道理。その最初の何処かから削る作業が土星と考えると、土星の在り処には神の意向が色濃く反映している筈。強み弱みだけでなく個性を知る上でも重要な星。神の遠謀深慮を紐解くに最も重要な星が土星である(土星に関しては此方も参照 定見を持つと土星に至る土星は生存許可証)。

 

そこで、自分の強みがよく分からなかったトーゴは、土星を中心に自分の弱みを考えてみた。

すると、やり玉に挙がって来たのが海王星。これが焦点をぼかし、話をインフレート。トーゴを実体のないお化けの様な存在に変えてしまっている。トランスサタニアンだけに、コントロールが効かず暴発もしばしば。

 

これがひっくり返ると、トーゴの強みになるのだろう。では、それは一体何だろう?

空想。インスピレーション。集合無意識。

海王星から浮かぶ言葉。大きい星だから、使いこなせなさそうだが、複数の星とアスペクトがある。特にコンジャンクションが要だ。海王星の空想を何らかの形で現実に活かす。どうやら、それが私のこれからの課題であり、強みとなるモノらしい。

 

空想を現実に活かす。

 

この講座に参加したのも、こう考えたが故である。

 

 

 

 

 

 

さて、話は変わって一昨日。

スイトナ二期生3人で行った「星とタロット」鑑定会

無事、終了しました。

 

ご来場下さった方、本当にどうもありがとうございました。

 

また、開催予定ですので、詳細決まりましたら、またご案内差し上げますね!

 

 

 

 

 

定見を持つと土星に至る?

  • 2017.03.09 Thursday
  • 00:00

 

 

思想やスピリチュアル系の本が好き。

歴史の本が好き。

これらの本を読んでいて、ハタと気が付いた。

 

200年位前までの世界では、人の世は悪いモノと相場が決っていた!」と。

 

何しろ、仏教を特徴付ける教えとして有名な四法印の1つに「一切皆苦」が入っている。西洋のセム的一神教も仏教同様、終末思想を持つので、現在の認識は「悪の社会」。

 

それ以外の宗教の人々もいるから、地球全体とは言わないが、大多数の人々の共通認識であった事は窺い知れる。現に日本でも、この世を「憂き世」・「浮世」とか呼んでいたではないか。

 

終末思想の大元を辿ると、仏教の場合は、必ずしも世界認識と通じてはいないし、キリスト教の場合も迫害された時代背景が大きい。また、宗教観がどうであっても、大多数の民衆や信者が本気で捉えていたかも不明。

 

しかし、通念として、この世界を悪しきモノと捉える事には大きな意味があったのではないか?それ故、誤解が訂正されずに18世紀まで残っていたのではなかろうか?

 

社会の平衡を取る為の良識は、ここを原点として発展・進化したのだとハタと思い至った。

原罪思想然り。孔子の徳治政治然り。プラトンの哲人政治然り。易の少数決然り。

 

この世を丸ごと「悪」と大雑把に捉える思想は、非生産的なニヒリズムではなく、死中に活を見出す方法論。人を生かす為の知恵だったのだ。この辺り、人に制限を課すが、それによって生かしもする土星の働きと似ている(土星は生存許可証 参照)。

 

「社会=悪」の土星認識に立った時、人は一体、何を判断の基準に据えるか?

歴史と伝統に培われて来た常識以外にあるまい。どんな情報も鵜呑みにせず、一度、常識と経験則に照らして自分で考える。

 

常識でモノゴトを真面目に考えると、人は定見を持つに至る。定見を持つ人間は多少の事ではビクともしない。これがまた新しい常識となり、やがて醸成されて良識となる。この良識こそ、人を活かす土星の規範なのだろう。

 

 土星の規範とは 、多くの人々の定見が積み重なり、蓄積されて智慧となったもの。即ち、伝統なのではないかと最近思い始めた。

 

なんの確証もないけど…(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

と、まぁ、いつも言いっぱなし。

言い逃げのトーゴですが(w)、3月15日の水曜日に、スイトナ2期生3人で鑑定会をする事になりました。

 

占って欲しい人も、

 

トーゴとお話してみたいって人も(いるかな?f(^_^;)

 

是非ぜひゼヒ、

 

遊びにいらして下さいませ〜!

 

お待ちしております(*'ω'*)

 

 

星とタロット:鑑定会
日時
 3月15日(水) 
13時〜15時半
場所
 JR山手線 渋谷駅ハチ公口徒歩4分
 

※各自の飲食代をご負担下さい。
 小銭をご用意下さい。
 

※鑑定ご希望の場合は20分2,000円〜です。

 詳細はこちら

 

音楽と占術方式

  • 2017.02.20 Monday
  • 00:00

JUGEMテーマ:占い

 

 

 

 

かつての私にとって、

音楽とは神に至る道であった。

 

当時、私はディオニュソス的と類される音楽のうちでも、アポロンのアの字もない、殊更にディオニュソス的なジャンルに傾倒し、深く没頭していた。

 

演奏中は自我意識が希薄となり、自分でも制御不能。まるで何か巨大なモノに心身をライドされる感覚と、その場の空間全てと混然一体になり支配する感覚を同時に覚えた。ノンドラッグでトリップしている感じと言えば分かり易いか。音遊び(音楽)の域をはるかに超えて、既に神遊び(宗教)の域。文字通りの至福と、理性では捉え切れない巨大な何かが、そこには在った。それは、正しく巨大なるモノであり、戦慄すべきモノ。それでいて魅惑的で惹き付けて離さない。ルドルフ・オットーが唱道したヌミノーゼそのモノだった。

 

ここからヌミノーゼに対する馴染みと興味とが私に生まれ、音楽よりもスピリチュアル思想へと誘われるように進んでいく。結果として、今、この講座に参加して、ブログをしたためている次第。

 

一度、こうした体験をすると、似たようなモノに敏感になる。例えば、西洋占星術ならサイン。

 

私の個人的な感想だが、チャートを読む時は、感受点の方に重きを置いて読んでいる。しかし、宇宙的な視点からみると、感受点は大きくても恒星(太陽)が1つ。対してサインは数多の恒星の群れ。更に意識を遠くまで拡大すればする程、大きなモノが視界に収まる。所謂、大銀河団が幾千幾百。巨大なエグレゴレ(固有のエネルギー網)が作用する場所。それをサインと考えると、あまりの広大無辺さに恐怖を通り越して畏怖すら覚える。

 

通常、遠くにあり過ぎるモノは余りに大きな影響力を持つので意識されない。サインの場合は12種類の異なった力の傾向として認識される ので、意識にのぼるのではなかろうかと推測している。

 

サインの力を重視するのは私だけではないらしい。

占星術を学び始めて、サイデリアル・アストロロジーと言うモノがあると知った。春分点の位置を現実に見える方向に合わせて占断するので、星座と宮が一致。感受点に影響を及ぼすサインの力の種類を正確に把握出来る。

 

普段見慣れているトロピカル方式の西洋占星術からは、サイン1つ分ズレるので、太陽星座が牡牛座の人は牡羊座が太陽星座となる(西洋占星術で作成したホロスコープは、実際の夜空とはサイン1つズレている!!)。ちなみに、サイデリアル方式を採用している占星術としてはインド占星術が有名だ。

 

面白そうなので、簡易的にサインを1つズラしたチャートを作ってみた。

一般のサイデリアル方式の占星術では、プレアデスを起点とする為、西洋占星術で使用する度数から24度前後マイナスする。これだとサインが元のサインに戻る場合もあり(角度上のアスペクトとサイン同士のアスペクトのズレは補正されるが意味が変わってしまう)、ちょっと面倒なので、レグルスを起点とする変わり種を採用。西洋占星術との差異(アヤナムシャ)が29度となり、度数は1度足すだけで済む。

 

サインが丸々1つズレるので、当然、全く別人のホロスコープになる。それでも読んでみると、トーゴにとって重要な意味を持つ部分だけは何故か元のトロピカル・アストロロジーと似たような解釈となった。非常に興味深い。

 

サイデリアルでは、星座とサインが一致しているが、黄経は一定しない。トロピカルでは黄経は一定だが、サインと星座は丸々1つズレている。どちらも一長一短あり優劣はあるまい。より自分にしっくり来る体系を使えば良い。個人的にはトロピカル・アストロロジーの方がより自分を言い当てている気がした。黄経の意味するモノもまた広大無辺なのだろう。

 

サインには、まだヌーメン(魔神)的な何かが残っていると感じる。それこそがヌミノーゼであるのだが、このヌミノーゼを含んだサインが12個集まって、1つの円=黄道となる。

 

円とは古代ギリシアでは永遠性=神のシンボルであった。また、自分の外側、無限遠方に投射すると、「神は無限の球 その中心は至る所にあり、円周はどこにもない」との、5世紀の古代キリスト教神学者、アウレリウス・アウグスティスヌの言葉の意味がよく解る。

 

若かりし頃の私が没頭していたのは、サイン的なヌミノーゼミュージックだった。

今、私が興味を持っているのは、12のサインが集まって1つの完全なるモノ=円=黄道になったような音楽である。