しみついた日常の皮なんて剥げ。剥いでしまえ。

  • 2017.04.27 Thursday
  • 06:25

 

 

いきたい国はポルトガル。

もう果たして何年前から言っているんだろう。

そして未だ実現の予定なし◎

 

どうも、月子です。

 

旅。

 

実際にどこかへいく旅。心の旅。

一言で旅と言っても、連想されることはそれぞれに異なることと思いますが。

わたしは単純に、旅(旅行)について書きます。

 

わたし、旅、しないんです。

 

まず、日本を出たことはおろか、国内でも旅行と称していったのは、

修学旅行くらいの記憶しかありません。温泉には稀にいきますが。

 

旅が好きではないとか、余所に興味がないとか、そういうことでもなく、

むしろ、知らない土地には興味津々だし、いってみたい場所も、いく意欲もある。

旅行本だけは、一丁前にいろいろ買ったりして。

 

たくさんの旅を経験していらっしゃる向先生・桜田先生の下で学んでいながら、

少々あるまじきことのような気がしてなりません。

 

何と言いましょうか。

ただただ、腰が重い。

そして、とにかく荷物が多くて嫌になる。

 

できるだけ、普段の生活を崩したくないという気持ちが強く働くため、

タオルからパジャマ、お風呂アイテム、お化粧道具、ボディケアアイテム、

ドライヤーまで、毎日の生活に欠かせないアイテムをすべて持っていく。

靴は最低2足。洋服だって、あれやこれや持っていきたがる。

荷造りしたときに良いなと思った洋服を、旅行中もそう思うか分からないから。

 

いつもと違うシャンプーを使って髪がパサパサになったらどうしよう。

旅先の水が合わなくて肌荒れしたら嫌だな。

お化粧もいつも通りいつものブラシ・パフでいつもの仕上がりでないと。

 

旅先でのことより、荷物どうしようという方が先に立つ。

 

いかに普段の状態を崩さずに旅先へ赴けるか、がテーマ。

そんなつもりは一切ないのに。

 

思い立って鞄一つ担ぎ電車に飛び乗って〜、なんていう歌詞みたいなこと、

憧れるけど、きっとできない。やらない。

 

旅人というあだ名の世界を放浪している友人がいるのだけど、

その子からはよく「くだらねぇ」と言われていたし、

そんなこと、自分でもわかってる〜♪

 

手には、たくましい旅行線もあるようなのに、まったくもって活かしてない。

 

そんなわたしに、近頃いつになく、リュック一つで身軽にひょいと、

ここではないどこかへ行きたい衝動。

荷物も何もいらないや、などという珍しい現象が発生中。

 

これはきっとチャンス。

 

先日、ぐちゃぐちゃに放置状態だった本棚にちょっと手を入れたら、

「江戸 七〇社」という本がでてきました。

 

だいぶ前、どこかの図書館で『ご自由にお持ち帰りください』という棚に並んでいたのを

なんとなく持ち帰ってきた本で、都内にある神社をエリアごとにピックアップしてあるような内容。

 

こんな本の存在は今のいままですっかり忘れていたけれど、ぺら見したところ結構面白そう。

旅、とまではいかずとも、手始めに、この七〇社、制覇してみようと思います。

行先は、その都度タロットで。

 

近場だけど、神様に会いに行く旅。

 

やってるうちにノッてきたら、ファ〜っとどこか遠くへいくこともできるかも。

テーマとしては、個人的に悪くないような気がしているけど、果たして。

 

旅人初心者の、旅のウォーミングアップ宣言。

 

以上、月子でした。

チャートとブログからみる次の方、紹介。

  • 2017.04.19 Wednesday
  • 20:04

 

こんにちは。

月子です。

 

わたしがご紹介するのは、綾野こころさんです。

 

綾野さんとは、12ヵ月講座以前に別の講座でご一緒したことがありました。

とても聡明でしっかりしっと、ふんわり漂うベテラン感

聞き取りやすい優しい声色でお話される大人の女性。そういう印象。

 

しっかりしてそう、できそう、という単純な山羊のイメージだけではない、

その存在感と安定感には、周囲を包み込むような柔和さが感じられて、

とてもあったかい。滲み出る適度適温の人肌。

 

お話すると、朗らかな笑い声にたまにとびだすユーモア。

お茶目な一面も感じさせてくれるような素敵な女性。

輝く金星と包容の木星の仕業でしょうか◎

 

尊敬する師の元で、喜び楽しみそして苦しみも味わいながら、

その中でしっかりと学び形にすべく、真摯に深く深く学ぶ姿勢は、

ブログからも強く伝わってきます。

 

知性のサインを纏った冥王星と土星の強力な後方支援を受ける太陽。

明確な目的意識と、徹底的に追求・やり切るやり続ける強さ。

個人的な気持ちや感覚では終わらない、終わらせられない。

どこまでも知識知恵は広がり、そしてそれをしっかりとご自身のものにされる。

 

きっと、信頼と安心の占い師さんになられるのだろうな〜、などと恐縮ながら思います。

現実と幻想のあいだ。

  • 2017.04.11 Tuesday
  • 00:00

 

あるところに、若いカップルがおりました。

そのカップルは結婚を控えており、それに伴って、印鑑を作りにいきました。

女性が五歳年上の、姉さん女房カップルでした。

 

来店した結婚目前のカップルに、印鑑屋の主人は言うのです。

 

「あなた方は、絶対に一緒になってはいけない。

 離れ離れになってしまうから。二度と会えなくなってしまうよ。」

 

女性は少々感情が高ぶりやすい性質でしたので、すぐさま言い返します。

 

「離れ離れ?失礼ね!離婚なんてしませんから〜!ふんっ!」

 

女性は、主人の言う離れ離れという言葉を、離婚を示唆していると捉えたのでした。

 

その後程無くして二人は無事に結婚。女の赤ん坊が生まれ、家族三人、

幸せな家庭を築き始めた、矢先の出来事でした。

 

それは、生まれた子どもが一歳になる頃。

二十七歳という若さで、夫である男性は急死してしまったのです。

 

「あの印鑑屋さんが言っていたのは、このことだったのか・・・」

 

妻である女性は、この時初めて、離れ離れの本当の意味を理解したのでした。

 

時は過ぎ、子は育ち、育った子はその話を聞いて思いました。

 

どうしてそんなことがわかったの?なにをみてそうなったの??

不思議だ。不思議すぎる。なんだそれは。面白いじゃないか。

なんで?どうして??わたしもそういうの、みたい。

どうやって?しりたい。どうしても知りたい。

 

謎に迫るべく、娘は、不思議を追求する長い旅に出るのでした。

 

◇◆◇

 

この稚拙な昔話。

姉さん女房カップルは、わたしの両親のこと。

不思議追求の長距離旅行に出た娘は、わたくし、月子でございました。

 

今回のテーマ:講座が始まって半年が経ちました。改めて自己紹介。

 

というわけで、改めまして、月子です。こんにちは。

 

さて、下手な小説紛いな文章を披露するなど、一体の真似だといった感じですが、

あれこれ説明するより、下手くそでも物語にした方がわかりやすいかなと思いまして。

 

占いをわざわざ学ぶって、割と変わったことだと思います。

世間一般的にも、占いって学ぶものなの?なにゆえ?というリアクションです。

 

このブログをご覧の皆さんは、おそらく占いを能動的に嗜まれている方々だと勝手に推測いたしますが、

わたしはなぜ皆さんが占いに興味を持たれているのか、真っ先に、その理由がとても気になります。

 

今回は、改めての自己紹介というテーマを借りて、なぜ占いを、という己の根源に迫ってみました。

それこそが自分を紹介するには最適だろうと考え、始まりから、抱えるジレンマ、現在に至るまで。

月子、おっぴろげ。

 

まず、冒頭でお送りしました両親のエピソードが、わたしが占いを勉強している理由の根源です。

これを基軸として、話を進めていきます。

 

そもそも、なんで占いが好きなのかそして勉強しているのか。。。という疑問は魚の小骨のような存在で多少の違和感を感じつつ、細かな理由はあれど、好きだから、という雑な括りで片付けていたつもりだったのですが、勉強をしていく中で、おお!理解した!と思うとき、なんなんだわからん!と思うとき、様々なシチュエーションで、なんで占いを?小難しい勉強を?わざわざ??楽しいだけじゃないし寧ろキーッ!てなるし?なんなの??という疑問の壁に何度もぶち当たり、動機付け問題が全然片付いていないこと、それが結構な障害になっていることに気がついたのでした。とにかくなんだか噛み合わない。自分が。

 

水トナ講座は、西洋占星術とタロットがメインですが、2コマだけ相術の講座が入ります。

 

2月の相術の講座で、印相についての話がありました。

勉強している身でありながら無知で大変お恥ずかしい話なのですが、手相人相は知っていたものの、印鑑に相があるなんて知りませんでした。「これか?!謎に迫るヒントはこれかもしれない!!イエーイ!!!」てな具合に、講座中、ひとり稲妻に打たれていたのでした。

 

ただ、その謎の印鑑屋さんは、実際何を見てあんなことを言ったのかは分かりません。

印相だったのか、人相だったのか、姓名判断だったのか、はたまたオーラ的な何かだったかもしれない。だったらめちゃくちゃ面白いのに。肝心の母親に色々と聞いてみても、返ってくる答えは決まって「え〜!もうわから〜ん!忘れた〜!!」なため、まったく当てにならない残念な状況。なぜ忘れるんだ。そんなインパクト大なことを。

 

ここで、新たに登場する疑問の壁。

 

来る人すべてに、その予言めいたことを言っていたとしたら、問題。

100人に同じことを言っていて、その内のたまたまの一人、一回だったとしたら。

 

占いが当たったかどうかなんて、その人にしかわからないじゃないですか。

そう忠告されたって、何事も無ければ無かったで「別に何もなかったね」で終わる話。

それこそいつの間にか忘れ去られる事となり、いずれ無かったことになる可能性大。

 

偶然多数の内、たまたまその通りになって「当たった・・・(((( ;゚Д゚)))コリャスゲェ」みたいに(主に私が)なってるだけで、不思議でもなんでもない、ただのインチキかもしれないですよね。しかも「死」と断言したわけでもなく「離れ離れ」という、非常に曖昧な表現をしている。更に言えば、人間はいずれ死に、たとえ夫婦であろうが親子であろうが、離れ離れになるのです。何事もなければ、なんらかのおかげだか何だかでその悲劇を回避したのです、な〜んて言われたとしたら。反吐が出ちゃいますね。

結論、どう転んでも当たったことにしようと思えば、できますよね〜。

 

あ や し い。

 

つ ま ん な い。

 

面 白 く な い!!!!!

 

だから占いってよくわからない。好きなくせにそんな捻くれたこと考える自分もよくわからない。
勉強していると、なんでこんなことを、と思う自分と、好きで始めたはずのに、好きなのに、
どうしてこんな気持ちなったりするんだろうと、自分で自分にモヤモヤします。手が止まります。
そして無限地獄、思考停止。からの、無。投げ出し。やってらんね!ぽーい!!

 

そんな中、最近辿り着いた一つの答え。

現在、前述した先生のところで相の教えを乞うているのですが、

そこで腑に落ちたこと。

 

一つの事柄について占うとき「A⇒(B)⇒(C)⇒(D)⇒E」という
始まりのAから結論のEに至るまでの間の”BCD”をいかに推論するか、できるか、
というのが占いの大いなる肝であり大切なことなのだ、ということ。

 

相でも西洋占星術でもタロットでも、どれにも当てはまることで、
ありとあらゆる角度から考えられる事を幾つも拾い上げ、抽出し、繋げ、推論し、
最も適切だと考えられる答えを導き出す、そこで【E】、初めて口に出して伝える。
それも、丁寧に、きちんと伝わりやすい言葉で。

 

それが正確で適切であればあるほど、そうであるから、信頼される占い師となる。
そしてそれは、別に占いに限った話でもない。

 

占いって、推論なのかぁ。

 

不思議もへったくれもない、なんて現実的な話なんでしょうか。
ていうか、過去の最初の方のブログでも、似たようなこといってたよ、自分で。

 

やっぱり、現実なんだ。占いは。
現実なんて、土み激推しなわたしの得意分野じゃないの。
なのにどうして感じるこのがっかり感。

 

これまでのブログを読み返してみると、壁にぶち当たりすぎだろ、しかも大体同じようなことで、壁にぶち当たるという逃避も大概にしろ、と張っ倒したい衝動に駆られるほど、とりあえずわたしは頻繁に何らかの壁にぶち当たってる様子でした。バカじゃないの。

 

占いは、非常に論理的っぽくてパズルのように意味や言葉を繋げて、練りに練り上げながらコツコツと一つずつ読み解いていく作業。すぴりっちゃる?は??全然わかりませーん、などと普段は思っているわたしと、非常に地道な読み込み作業という占いの先に感じる、あるかもしれない神秘を求めるわたし。どうやらこの二つの考えが、占いをやっていこうとする動機と原動力の両輪になっている模様。

これのまぁ嚙み合わないことよ。

 

みつけた。
わたしが感じるジレンマは、ここにある。

 

件の印鑑屋さんについては、インチキを言うことによるメリットが特にないと思われるので、
(いやまあ本当のところは分かりませんけど、そう仮定したとして)
本当に何かを見て忠告をしたんだと思います。そしてわたしはその”何か”が知りたくて、
この目で確かめたくて、オカルトやら心霊、そして占い界隈を、嬉々としてウロチョロ彷徨うのです。
 

そんなことから始まった不思議探しの長距離旅行の結末は、重複しますけれど、

やっぱり、(ひとまずは)夢やロマンではない、現実だったわけなのです。
 

知ってたし、薄々気がついてた。

 

わたしはきっと、なんだかびっくりするような結末を思い描いていたんだと思います。
世にも奇妙な物語のように、理屈や何かで証明することができないような不明瞭なこと、
そんな結末であって欲しいと、今でも、心のどこかで願っているんだと思います。

 

答えを見つけたいと言いながら、実は見つからないことを期待しているのかもしれません。
 

この矛盾、やっと認めることができた。

 

矛盾こそが醍醐味であり、楽しみであったりするのでしょうか。
その極地はまだまだ遠い。まず矛盾を楽しめるようになるには、

やはり、とにもかくにも諦めず、学び続け、深めることなのだろうと思います。

チャートをカードを相を、読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んで読んでただひたすら読んで、はじめて、ふとした時に、きっとその向こう側が見えるのだと思います。しかもそれでもチラッと垣間見える程度かもしれない。その一瞬の神秘が見たいなら、見たいから、これからも、泥臭かろうが投げ出したくなろうが、勉強はしていかなければならんのです。

 

◇◆◇

 

唐突に、予言しよう。

 

今日のこのブログは、わたしの黒歴史となるでしょう。

数年後、内容に顔から火を噴きながら恥ずかしさでのた打ち回る確率、100パーセント。

 

ここまで読んでくださって、どうもありがとうございます。
長い自己開示による自己紹介も、そろそろ終わります。

お疲れさまでした。

 

現実と幻想のあいだでもがき、なんとなく、終わったかのように思える旅ですが、
やっぱり、この世には、よくわからないようなことは、あるんです。


よくわからないことはよくわかっているからこそ、

よくわからないことだと認識できるのだと思うのです。

 

◇◆◇

 

結びに。

 

 

 幻想と現実の境目をきっちりと分類するというのは恐らく不可能だと思います。
 この2つがセットになっているからこそ、人間って今の文明や自然界の中で暮らし

 ている事が出来ると思う。こんな物を分けろという方が幻想に囚われているんじゃ

 ないかという風に思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、作家で翻訳家、博物学者である荒俣宏せんせいが語られたことだそうです。
 

震えますね。

感動で。

 

かの水木しげるせんせいに「あの人は妖怪ですよ」と言わしめるほどの方が、
現実と幻想の境目の分類は不可能だと語っておられるわけなので、
わたし風情が苦悩するなど、笑止!一万年でも足りないくらいに早まった話。

ちゃんちゃら可笑しく片腹に激痛が走ります。ははは。

 

印鑑にまつわるエピソード、もう一つあったりするのですが。

それはまた、いつか機会がありましたときに。

 

我が家は、何やら印鑑にご縁でもあるのでしょうかね〜。

 

ふ し ぎ ♪

 

以上、月子でした。

 

 

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