わたしがわたしであるために。

  • 2017.03.18 Saturday
  • 21:31

 

 

月子です。

テーマ:自信があること

 

難しいテーマです。

 

自分で自信があると思えることを発信するなんて、やっぱりどうして慣れないわけで。

自信があると思えることがあったとして、それが必ずしも周囲に評価されていたり、

結果に結びついていないようなことでも、自分がそうおもえばあると言えるのか。言っていいのか。

 

数日前の記事で、水トナメンバー兆さんも書いておられたけれど、

自信とは、自分を信じること。そのとおりだと思う。

 

自分では、自信があります!と声高に叫んでも、周囲からは「勘違いも大概に」などと否定され

自信を失うこともあれば、自分では自信がないと思えるような部分を、

思いがけず周りが評価してくれて、自信を持てる部分となることもある。

 

行き過ぎた自信は、慢心や傲り、思い上がりなどという、マイナスな要素へと

育ってしまう場合もある。むしろ、そうなってしまいがち。

なぜに、そんなことになってしまうのだろうかね。せっかく素敵なものだったはずなのに。

 

自分自身を客観的に見る視点・心を失い、本人にとって耳が痛いことであっても、

助言として周囲が掛けてくれる声や評価を聞き入れず、世界を閉じてしまう。

 

自己の評価と他者の評価。自分の眼、周りの眼。

己だけになりすぎても、他者に寄りすぎても、どちらに振れすぎても、

どうやらあまりよろしくなさそうだ。やはり、バランス感覚。

なんだか結局すべてがこのバランスというものに行き着いている気がするが、

それは、わたしの天秤水星with土星冥王星たちがそう言わせているのかしら。

 

さて。

ここまで話しておいてなんだけれど、なんだかんだ言って、

わたしは5ハウサーなんですわね。喜び嬉しみ楽しみが正義の5ハウサー。

 

周りが何と言おうが、褒められようが羨ましがられようが貶されようが、

自信があろうがなかろうが、やりたいからやった、やりたいからやってる。

それ以上でもそれ以下でもない。。。

欲求に従っているだけなことを評価していただいても、ピンとこなかったりしてね。

とは言え、「ここは自分の感覚信じてる」的な部分はあるわけで。

他者の評価が自信に繋がるかといえばそうでもないと思うけれど、

やっぱり、やったことの結果があるからこそ、導き出される答えでもあるのだね。

 

自信を持つのは大いに結構であり素晴らしく、必要なことである。

自信を持つと同時に、その自信に潜む危険な要素という部分も、しっかり押さえておきたいところ。

楽しいだけで生きることの怖さ、いつか身の破滅という痛い目にあう可能性が大いにある。

それが、わたしが取るべき必要のあるバランス。
 

前置きが長かった。

以下、わたしの自信があること。

 

1.人との出会いや環境、物事の巡り合わせに恵まれていること。

 

 本当にわたしは周りの方のお引き立てによって生かされている、

 といっても過言ではないくらいに、誰かに何かに助けられて生きています。

 食べ物屋さんで何故かよくおまけしてもらえたりしてラッキー☆食いっぱぐれ無し、

 みたいなささやかなことから(笑)チャンスやお仕事をいただくような大きなことまで、

 思わぬ幸運を掴ませてもらえる機会は少なくない方だと感じています。

 

 この自信で考えられる危険要素:

 何とかなる精神が増長する。

 あくまでも、自分をしっかりと持ち、欲しいものは掴みに行く、

 自分の足で立つことを忘れてはいけない。

 そして一番大切なことは、感謝を忘れないこと。誠意をもって尽くすこと。

 自分が生かされていることを忘れてはいけない。

 

2.勘が当たる。嗅覚はいい方だと思っていること。

 

 ここで言う嗅覚というのは「この人、なんだか面白そう」だとか、

 「わたしにとって、とても良き影響を与えてくれそう」だとかいう、

 人や状況に対して鼻が利くことを言っています。

 当然ながら知らない人には基本ついていきませんが、稀にそうでない場合があるというか。

 この人は大丈夫、という謎の勘というか肌感というか、説明できないんですけど、

 簡単に言うと、パッと相対したときに、この人いい人悪い人、の見分けがつくようなそういう話。

 先日、7ハウス海王星の子から「大丈夫だと思ったら、まがい者やら変なのなんだよね」

 っていう話をきいて、そういうのもあるんだな〜と思った。わたしは大体、ハズれない!と思ってる。笑 

 且つ、その人はいい話を運んできてくれるのです。

 

 この自信で考えられる危険要素:

 当たり前に危険。リスク高すぎ。一歩間違えたら終わる可能性大。これに尽きる。

 これこそ、己の勘を過信しすぎてはいけない。

 

3.なんだかんだ、一人で割とそれなりに面白おかしく生きてること。

 

 もちろん、一緒に過ごしていなくとも親や友人がいて安らげる環境があり、

 その上で成り立っているというのは大前提。

 この場合は、巷でよく聞く「おひとり様」ってのにあたると思います。

 誰かと楽しむことも一人で楽しむことも、両方できるってこと。

 これって、わたしもその口だったのですが、当然だろと思う人からしたら「?」だと思います。

 でも、そうでない人もいるのだと知り、となれば、

 ある程度一人で楽しみ問題解決までできるタイプは効率いいし、強みかな、なんて。

 

 この自信で考えられる危険要素:

 自己完結人間になってしまう。人を自分にどう介入させていいのかわからなくなる。

 マイペースが行き過ぎる。視野や世界が狭まっていることに気がつけない。

 自己防衛が強くなり攻撃性が増す。

 

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誰もが振り向くような美貌を持って生まれたかったなー、とか、

単純な容姿に限らず、ここがもう少しこうであればいいのに、とか、

無いものねだりは山ほどあれど、なんだかんだ。

 

わたしはわたしが好きであること。

 

それが、自信のあることかな。

 

わたしを生きることは、わたしにしかできないのだから。

逆に言えば、わたしはわたしを生きることしかできない。

だから、存分に、己を生きる。

 

ちなみに、自分と同じようなチャートの人から自信について問われたら、

自分では当たり前すぎてピンとこないかもしれないけど、人が目を掛けてくれた部分は、

間違いなく優れている部分だから、ちゃんと自分でスポットを当てて、

しっかり意識して育ててみて!そして、自分の感性やり方が認められなくても、

腐らないこと!それは鍛錬であり次のステップへ進むためのチャンスだと思うこと!!

たとえ感性・才能と言えど、放っておいたらそのままです。

先へ進みたければ、苦も受け入れる。自惚れ注意!!!とアドバイスします。

 

 

結論までが長すぎた。

以上、月子でした。

 

 

 

この記事にて、テーマ『自信があること』は、おしまいです。

明日からは新テーマ『わたしのアセンダント』が始まります。

 

お楽しみに。

語ることが何もない悲しさ。

  • 2017.03.01 Wednesday
  • 05:44

 

柳 月子です。こんにちは。

今回から、テーマは『好きな本』です。

 

このテーマが決まってから、ずっとずーっと考えてました。

好きな本。

好きな本って。。

わたしが好きな本って。。。

 

もしかして、特にないかもしれない。

 

これが好きなんです!って語れるほど、熱量をもって読んだ本が無いのか、

あったかもしれないけれど、記憶の底に眠っているのか、、、

 

本を読むのは好きだと思う。何より、本屋さんが大好き。

意味もなく立ち寄って大量の本に囲まれながら、

まだまだこんなに知らないことがあるのだ〜!と感動し絶望する。

わたしには知らないことしかなくて、そしてそのすべてを知ることがないままに死ぬのか〜、

とか考える。

 

中二か。

 

そもそも、自分が本を読むときはどんな時だろうと改めて考えてみる。

まず、改めて考えないといけない程度にわたしにとって読書は日常ではないということがわかった。

 

その時に自分が陥っている状況に関連する本を探し、ピックアップして読むのが自分スタイル。

好きな作家や作品はポロポロ思い浮かぶけれど、語るには熱量も知識も教養も足りない。

ごめんなさい。

 

この”好き”という言葉は、わたしにとって非常に厄介で注意すべき点である。

いきなりここで引っかかる、面倒くささ。

 

脱線します。

”好き”とは。

 

わたしは好きを認識して標的が定まると、生活に支障を来しながらエネルギーを対象に注ぐ。

好きで堪らなくてメンタルとにかくハッピーだけど、現実をいろいろと破壊しながら愛している。

それが、わたしにとっての”好き”。なので、マイルドに語れることが、あんまりない。

 

たとえ、過去に爆発するくらい好きな対象であっても、

今でもそれが好きだという事実に変わりはないものの、

現在進行形で入れあげていないものに関しては、たいていのことが意識の底で眠っているので、

なんだかぼんやりと靄がかかっているような状態で、よくわからないんです。

好きだけど、今それ聞かれてもわからない、と言った方がしっくりくる。

だから「すき?」って聞かれても「うん、すきだよ」くらいしか言うことができない。

”好き”という気持ちの色々を、上手に抽出したり分析したり、まして語るなど、できない。

というか、その程度のテンション・感覚で扱いたくないのかもしれない。

何かの弾みで気持ちを揺り起こされたとき、一気に靄が晴れて、

それについての記憶や気持ちが、ばーーーーーーーーーーーーーー!っと浮上してくる。

あー!これが好きだった!あれが好きだった!そういうば、あんなの持ってなかったっけ?!

探してみて、あったー!これこれ!みたいな。

それが自分の中の一番に躍り出たとき、はじめて、考察したり外に発信したりできる。

 

好きだったことすら忘れていることもある。

感銘を受けた本もあったはず。必ず。

だけど、わからないのです。

 

あまり品位に着目してチャートを読んだりしないのだけれど、こういうところ、

蠍金星は痛んでいる、と言われるのがなんとなくわかってしまう部分かもしれない。

自分対一でのめり込んでいないと、それを認識できないの???

これ書いてて、やっぱなんかちょっと変だなって思ったから。

好きに固執しすぎてる。気持ち悪い。

 

最後に。

 

唯一、読んだときの衝撃が当時から色褪せず今でも残っている1ページを紹介します。

本編の内容はさっぱり覚えていません。このページのことだけ鮮明に覚えています。

 

リリー・フランキーさん:『女子の生きざま』(文庫版)

本編前に差し込まれたポエムのページ。その一番最初の最初。

 

 

『もし 今 考えていることが ほんとうになったら うれしい。

 

 うれしいなぁ。超うれしい。

 

 だから 私がほんとうにうれしいことは 現実には絶対ムリなのね』

 

 

そうそう。ほんとうにそう。

雷が落ちたかと思った。

身も蓋もないようなことなんだけど、

こんなにも響いたものはありません。

 

現在は、もう違う考えを持つようになったせいか、100%しっくりとはこないけど、

とってもよくわかる。現実には絶対ムリなことばかり考えるわたしのためにあるようなポエムです。

 

 

他人が読む本は、大変に興味深いです。

ネットで無作為に検索して、知らない人の感想を読むの好きです。

なので、今回のテーマは、この後に続く皆様の記事がいつも以上に楽しみです。

いちブログの読者として、楽しみたいと思います。

 

以上、柳 月子でした。

まったくもって”NO MUSIC,NO LIFE”じゃない私にとっての音楽

  • 2017.02.21 Tuesday
  • 22:20

 

柳 月子です。こんにちは。

今回のテーマ『音楽とわたし』です。

 

音楽は、日々是欠かせないものではあるものの、

音楽性ですとか演奏のクオリティがどうのこうのですとか、

そのような方面に知識教養はサッパリなので、こと歌に関しては、

そういう観点からの楽しみ方を、わたしはしておりませぬ。

 

歌っている人がまず好きであること。少なくとも興味があること。

テレビやラジオから流れてきて「いい曲だな」と思うことはある。

けれど、そこにお金を出すか、というのは別の話。

それには、相当のインパクトと時間を要します。

 

というわけで、私にとってまず大切なのは、楽曲そのものというより、

歌っている人&関連する作品等が重要、ということなのです。

もちろん、その限りではないこともありますが、9割そう。

(クラシックは好き。クラシックに関しては、

その限りではない1割に分類されていると思います。)

 

で、あります故、たくさんの音楽CDを持ってはいますが、

棚に並ぶのは、オリコンチャートを華々しく飾るようなCDではなく、

アニメやゲーム等、作品のキャラクターが歌う、所謂、

キャラソンってやつがズラリです。他には、ゲームのサントラ。

 

2次元にお金をかけることもなくなった現在からこうして己を見つめ返すと、

ただひたすらに、笑いが込み上げてきます。笑うしかない。

 

初めて母に買ってもったCDは「らんま1/2」の映画のサントラでした。

サントラです。ここ、ポイントです。

しかもその映画をみたことすらなく、ただ、当時好きすぎていた「らんま1/2」のパッケージに興奮し、

こんなものが世の中にはあるのか!!!と更に興奮し、手にしたのです。

サントラというもが一体どういうものなのか、全く理解していなかった小学生のわたしは、

収録時間が2時間近いようなアルバムを、強すぎ溢れすぎな愛を抱き、

その愛で今にも爆発しそうな勢いで、ワクワクしながら、

「いつ、乱馬がでてくるんだろ〜!」と、ラジカセの前で聴いていました。

そのCDは、乱馬は登場しないまま、終わりました。

 

「は????乱馬は????は????なんなん?!これ?!?!」

 

そりゃ当然です。だって、サントラなんですから。

 

衝撃と混乱。

というのが、初めて自分で選んだ音楽との出会いでした。

 

母よ、なぜツッコんでくれない。。。

 

さて。

音楽に関わる天体はなんでしょう。。。

やはり思い浮かぶのは、金星でしょうか。

金星は、好みといった部分でしょうか。

水星も、部外者ではなさそうだ。。。

色々考察は尽きませんが、月を、ピックアップしてみます。

 

楽しみ方は、月、だと考えます。

少なくとも、自分で考えたとき、そう思いました。

 

わたしの月は牡牛です。牛は反芻動物ですよね〜。

食べて吐いてまた戻す、という、あまり鮮明に想像はしたくない特性。

 

これです。

わたしの音楽の楽しみ方、嗜み方は、とっても牡牛的だと思いました。

 

とあるキャラソンを非常に気に入り、ずーーーーーーーーーーーーーーっと、

2日ぐらい一度も停止を挟むことなく、寝ている間も掛け続け聴き続け、、、

ということをやっていたら、CDが壊れちゃったことがあります。

壊れたというか、きっと傷がついてしまったんでしょうね。

音飛びやDJがチェケチェケやってるかのような状態がエンドレスに続くようになってしまいました。

自分としては、ずーっと聴き続けているつもりはなくて、下記のような意識から、

結果的に聴き続けていた、というような状況になっていただけなんです。

 

聴き終わる⇒「あ〜いいわ〜...あれ?あの楽器の音色いいかも。それメインで聴こう」⇒

聴き終わる⇒「あ〜いいわ〜...あれ?なんだか気になる旋律がある。もう一回」⇒

聴き終わる⇒「あ〜いいわ〜...あれ?あの楽器の音色を途中で見失った。もう一回」⇒

聴き終わる⇒「あ〜いいわ〜...(略)」⇒以下、ループ。

 

そんなことをやっていたらですね、朝だったのに気がついたら夕方になっていた、

なんてこともありました。若い時って、無駄に時間も体力もあるもんですね〜・・・

思わず遠い目になっちまいますね。

 

********************

反芻エピソードとして、ちょっとした余談。

今は一人暮らしなので何をしようが勝手気ままに楽しめますが、

その頃はまだ母親と暮らしており、母親からしてみれば地獄でしかありません。

たまったもんじゃありませんよね、ほんと。実際、発狂してました。

ある日、母がその歌を口ずさんでいたので、

「え?なんで?ていうか、歌えんの?w」と声を掛けた時のことです。

「こんだけずーっとずーっとずーっと聴かされたら覚えもするやろ!!!」と

激高したかと思ったら、母は、髪振り乱しながらひとしきり熱く歌い狂いました。

ヤケクソなのか当てつけなのか何なのか知らないけど、

キャラソンを母親が熱唱しているという様が可笑しくて可笑しくてたまらなくて、

キレる母親をしり目に娘のわたしは大笑い。

いろいろと、しつこい子を持つと、母は大変ですね。

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といった感じでしたが、さすがに今はそれほどの時間も余裕ものめり込む余力もありません。

しかしながら、何回も何回も何回も繰り返して、という楽しみ方はあまり変わっていません。

一度気に入ったものは、(ほぼ)永久的に好きです。

 

反対に、音楽って無意識的に楽しむものでもあると思います。

ただひたすら流れる音楽と、共にある、というような。

 

そのような側面から、最後に。

おススメというほどでもない上に、もしかしたらご存じの方も多いかもしれません。

各天体をイメージ(?)したCDアルバムがあり、コンセプトが面白くて集めていました。

天体の周波数に合わせた音楽に仕上がってるらしいんですが、それはちょっと眉唾というか、

天体の周波数??とはなんぞや???...わたしには正直よくわかりませんけど(苦笑)

自然音や脳に働きかける系のCDはよく見かけますが、

西洋占星術の観点から作りました、というのが、おミソな感じ☆彡

心を癒したい、心に働きかけたいときには、月のCDを。

やる気を奮い立たせたいときには、火星のCDを。他。

といった具合に、意識に働きかけるような楽しみ方ができる。

且つ、西洋占星術をやっている人はより楽しめると思われるCD。

ふ〜ん、なんて思いながら買いましたけど、娯楽的に楽しむ分には、

とてもユニークなアイテムだなと思いました。

これといって、好き!とかなんとか思うわけではないけれど、

先に述べた無意識的に楽しめるアイテム。よかったら、探してみてください♪

 

以上、柳 月子でした。