始まりはこの一言(里松栞帆)

  • 2017.06.27 Tuesday
  • 00:01

人生で初めて占いにいったのは、去年の春です。

 

当時、「私は今生、何が目的で生まれてきたんだろう?」とずっとぐるぐる考えていました。

こんなときこそ占星術を使うとヒントや答えが見つかるのですが、

当時は自分では全くチャートが読めず。

 

そこでブログのファンであった、向先生の鑑定に行きました。

私が人生どん底の時に、闇の中から引っ張り上げてくれたブログを書いておられる先生。

ご本人にお会いするのは初めて。どんな方なんだろう。

 

 

向先生の最初の印象は「おお〜!」

なんだかとにかくオーラが凄い。

語彙力なくてすみません。言い換えればとにかく凄いオーラ。

 

今にして思えば、これがアセン獅子座冥王星合の雰囲気というものだったのですね。

圧倒的存在感なのに、話す声色が優しくて、意外なんです。

 

鑑定では「今生、何をしに生まれてきたか」という私の曖昧な質問を具体的な形に直してくださり、

これからよりよく生きるためのヒントを沢山もらいました。

 

75分間紐解いて聞かせてくださった内容も有難かったのですが、しかし鑑定の最後に先生がおっしゃった一言があまりに衝撃で、結局その一言が私の未来を変えるきっかけとなりました。

 

「あなたみたいな人は、○○頃大変だったでしょ。少し休んでいいよ。」

 

(どうして大変だったことを知っているの?その話はしていないのに?怖い・・。)

 

いつ頃何が起きたかなど話していないのに、私の想いをピタリと言い当てたこの一言がインパクトで頭に残り、先生は私のチャートのどの辺を読んで、そうおっしゃったのだろう?という疑問が湧き、数日中には松村潔先生のご著書をamazonで買い、独学で学び始めました。

(講座に通っている今では、どの辺を読んでくださったのかわかります。)

 

しかし独学だと、続かなかったんです、すぐサボるんです私。

 

占星術の楽しさを語り合える友もいないんです。

 

自分を追い込んでヘトヘトになりながら1枚のチャートを読みきるということもしない。

 

12ヶ月プロ育成講座は、それらの欲求を満たしてくれました。

何より感謝しているのは

素人である私の参加を認めてくださった先生方。

そして既にプロとして活躍されているのにも関わらず、私の稚拙な質問にも丁寧に答えてくれ、気さくに接してくれる同窓の方々。

 

土成分がない私にとって、辛くなるくらいゴリゴリ現実に落とし込む作業が多いのも良いです。

辛い思いをする分だけ、力になっています。

 

今はお金をいただくのはまだ憚られ、友人にサンプルになってもらって実占経験を積んでいる途中です。

9月、スタートラインに立つときは、お客様の大切なお金をいただいてもよいレベルになっていたいので、今日もとにかく課題をやります。

 

 

 

雨の夜に (里松栞帆)

  • 2017.06.19 Monday
  • 00:04

「私霊感なんてないんだけどね。でもその時は分かったの。」

彼女はハイボールをグビリと飲みながら、静かな声でそう言った。

「何ともいえない悲しい空気が、そこにあるんよ。私、ああこれはまずい、と思って部屋の窓を開け放ったわ。窓の鍵がざらざらしてて、何ヶ月も、もしかしたら何年も開けたことがなかったんだと思う。ほら、男の人一人だと、なかなか細かいところまでやらないみたいで。」

 

 

数ヶ月に一度、近況報告と他愛もないお喋りをしに、路地裏の小さな居酒屋に集まる友人がいる。

昔は歌舞伎町で店をやっていたけど、今は地元に引き上げて半分趣味で店をやっているというママさんの焼くお好み焼きは年季が入った味で美味しい。

梅雨の長雨で店内に他のお客さんはまばらだった。降り続く雨音をほろ酔い気分で聞いていると、友人の一人が仕事をしていると時々出会う、不思議な出来事について話し始めた。

 

 

彼女は訪問介護の会社を経営していて、自身もヘルパーの資格を持ち、人手が足りないときは現場に出向く。

よそ様のお宅、特に高齢の方のみのお宅に上がらせていただくと、人生の軌跡が溢れかえり押入れや廊下を占領し、蓄積した壁の埃と相まって家全体が濃い陰影に包まれていることがあるという。

 

「普段は2階に上がることはほとんどなくてね。そのときはたまたま何かの用事で2階の部屋に探し物に行ったの。そうしたら古いバイクスーツが壁に掛けてあってね。私、身体がすくんで動けなくなってしまった。」

「どういうこと?」

「そのお宅、昔息子さんを交通事故で亡くされているのよ。もう何十年も前。ご家族の方、気持ちの整理がつかなかったのでしょうね。息子さんの着ていたバイクスーツがまだとってあったの。いろいろなことがあって、そのうちに家にお父さん一人になってしまった。やがてお父さんも亡くなり、その家は取り壊されて今はもう無いのだけれど。

・・・・亡くなった息子さん、たしかあなたと同じ学区の子よ。K君てわかる?」

 

****************

 

昔、同じクラスに目がクリクリとして、よく喋り、笑うとえくぼが出来るかわいらしい男の子がいた。

面白いことを言って皆を笑わす彼はクラスの人気者で、私は彼にほのかな好意を抱いていた。

卒業式の日、ありたけの勇気を振り絞ってその子に、もう会えなくなるから思い出に名札をちょうだい、とお願いすると、彼は恥ずかしそうに顔を赤らめてそっと名札を手渡してくれた。

それから別々の高校に進学し、時々駅で彼の姿を探したが、二度と会うことはなかった。

名札は大切に仕舞い込んだはずなのに、なぜかどこかにいってしまった。

 

次に彼の名前を見かけたのは、社会人になってから、みぞれ混じりの冷たい雨が降る寒い冬の朝。

新聞の地元版で、乗用車とバイクの交通事故を知らせる、小さな記事の中でだった。

 

****************

 

頭の中で点と点がつながってしまった。

ああそんな・・・。

 

シトシトという雨の音かと思っていたら、それは徐々にザーーという無機質な音に変化し次第に大きくなり、キーンと言う金属音も重なってきた。時々現れる耳鳴りだ。

私はぼんやり考えた。たしかK君は6月生まれだったな。だってお誕生日おめでとう、って傘を差して学校の紫陽花のところで言ったもの。あの時キラキラ光る雨粒の中で、少年のK君は笑っていた。

でもあれから時が経ち、社会に出て皆が大人になっていく中、K君はずっと一人だったんだ。

 

 

何十年も忘れていた遠い日の記憶は突然湧き上がり、暗い窓の外にひっそりとたたずみ、私を押し黙らせる。

 

それぞれの太陽、それぞれの月 (里松栞帆)

  • 2017.06.11 Sunday
  • 15:41

20年前の恋人とオペラホールにコンサートを観に行った。

長い間年賀状の1行で、お互いの生存を知らせるだけのやり取りになっていたが、互いの記憶が風化するのと逆行するようにSNSが世に普及した。

必要としていなくとも、知り合いではないかとわざわざ写真付で確認してくれる機能は、会っていない長い時間を無視して懐かしさだけを思い起こさせる。

果たして年に数回、メールで互いの近況を報告しあい、体調を気遣いあう程度に関係は復活した。

 

20年前は火星と金星の間柄だったが、歳とともに代謝は落ち、お互い体型もふっくらとして感情も落ち着き、彼はおばさんになり、私はおじさんになった。

性別を気にすることなく連絡が取れるのは有難い。

「連れが見つからないのよ。悪いけどつきあってもらえるかしら。」

「ああいいよ。では何時に。」

と簡素なやり取りをし、当日会うまで一切連絡はないシンプルな約束をした。

 

非日常感のある存在というのは、日常で付き合う友達には聞けないような家のお金の事情、親の老化の相談、自らの健康の不安を話すのに、ちょうど良かった。

昔二人で行った場所の話にもなったが、どちらかはよく覚えている出来事でも、どちらかはサッパリ覚えておらず、お互いの記憶をつなぎ合わせてようやく、どうもそうだったのではないかと憶測してお話が纏まるのほど曖昧さ。昔の話をしてても変に気分が盛り上がらず、そんなに長く生きたっけ、ははは、とのんびり笑いあえるのは楽でいい。

二人で水星を逆行させるというより、ちょうど空では天秤座の木星が逆行していて、それがしっくりくるような懐かしい思い出話をした。

 

長く離れている間にお互いを思いやった火星と金星は他の事に昇華され、今は別々の太陽と月を生きている。

人生のひと時を共に過ごした友人が、すこやかな月を過ごせますように。輝かしい太陽でありますように。私もそうあろうと思う。