雨の夜に (里松栞帆)

  • 2017.06.19 Monday
  • 00:04

「私霊感なんてないんだけどね。でもその時は分かったの。」

彼女はハイボールをグビリと飲みながら、静かな声でそう言った。

「何ともいえない悲しい空気が、そこにあるんよ。私、ああこれはまずい、と思って部屋の窓を開け放ったわ。窓の鍵がざらざらしてて、何ヶ月も、もしかしたら何年も開けたことがなかったんだと思う。ほら、男の人一人だと、なかなか細かいところまでやらないみたいで。」

 

 

数ヶ月に一度、近況報告と他愛もないお喋りをしに、路地裏の小さな居酒屋に集まる友人がいる。

昔は歌舞伎町で店をやっていたけど、今は地元に引き上げて半分趣味で店をやっているというママさんの焼くお好み焼きは年季が入った味で美味しい。

梅雨の長雨で店内に他のお客さんはまばらだった。降り続く雨音をほろ酔い気分で聞いていると、友人の一人が仕事をしていると時々出会う、不思議な出来事について話し始めた。

 

 

彼女は訪問介護の会社を経営していて、自身もヘルパーの資格を持ち、人手が足りないときは現場に出向く。

よそ様のお宅、特に高齢の方のみのお宅に上がらせていただくと、人生の軌跡が溢れかえり押入れや廊下を占領し、蓄積した壁の埃と相まって家全体が濃い陰影に包まれていることがあるという。

 

「普段は2階に上がることはほとんどなくてね。そのときはたまたま何かの用事で2階の部屋に探し物に行ったの。そうしたら古いバイクスーツが壁に掛けてあってね。私、身体がすくんで動けなくなってしまった。」

「どういうこと?」

「そのお宅、昔息子さんを交通事故で亡くされているのよ。もう何十年も前。ご家族の方、気持ちの整理がつかなかったのでしょうね。息子さんの着ていたバイクスーツがまだとってあったの。いろいろなことがあって、そのうちに家にお父さん一人になってしまった。やがてお父さんも亡くなり、その家は取り壊されて今はもう無いのだけれど。

・・・・亡くなった息子さん、たしかあなたと同じ学区の子よ。K君てわかる?」

 

****************

 

昔、同じクラスに目がクリクリとして、よく喋り、笑うとえくぼが出来るかわいらしい男の子がいた。

面白いことを言って皆を笑わす彼はクラスの人気者で、私は彼にほのかな好意を抱いていた。

卒業式の日、ありたけの勇気を振り絞ってその子に、もう会えなくなるから思い出に名札をちょうだい、とお願いすると、彼は恥ずかしそうに顔を赤らめてそっと名札を手渡してくれた。

それから別々の高校に進学し、時々駅で彼の姿を探したが、二度と会うことはなかった。

名札は大切に仕舞い込んだはずなのに、なぜかどこかにいってしまった。

 

次に彼の名前を見かけたのは、社会人になってから、みぞれ混じりの冷たい雨が降る寒い冬の朝。

新聞の地元版で、乗用車とバイクの交通事故を知らせる、小さな記事の中でだった。

 

****************

 

頭の中で点と点がつながってしまった。

ああそんな・・・。

 

シトシトという雨の音かと思っていたら、それは徐々にザーーという無機質な音に変化し次第に大きくなり、キーンと言う金属音も重なってきた。時々現れる耳鳴りだ。

私はぼんやり考えた。たしかK君は6月生まれだったな。だってお誕生日おめでとう、って傘を差して学校の紫陽花のところで言ったもの。あの時キラキラ光る雨粒の中で、少年のK君は笑っていた。

でもあれから時が経ち、社会に出て皆が大人になっていく中、K君はずっと一人だったんだ。

 

 

何十年も忘れていた遠い日の記憶は突然湧き上がり、暗い窓の外にひっそりとたたずみ、私を押し黙らせる。